amyの生活アレコレ

私amyの生活の中のアレコレについてのブログ

【出産記録⑥】深夜の長い戦い、そして夜が明けて赤ちゃん誕生!

 

 

の続きです!過去のお話はこちら↓〉

【出産記録①】40w2d〜3d オロナミンCからの陣痛はじまり
【出産記録②】短い間隔の陣痛にひたすら耐える時間!
【出産記録③】陣痛中に下痢とウォシュレットと戦う
【出産記録④】痛み止めの注射を嫌がる
【出産記録⑤】尿と子宮筋腫に邪魔され進まないお産

 

深夜の1時から2時頃

全く子宮口の開きが進まず。

子宮口全開まで「あとちょっと」と助産師さんに言われてから1時間が経過し、2時間が経過し…。その間も1、2分間隔でやってくる激しい痛みに耐え、その度に時計を見ていました。朦朧とした意識の中、時間の進みが遅いような、早いような今までに味わったことの無いような不思議な感覚がありました。

 

痛みのたびに覚醒する私

日付を越えてからどこかのタイミングでNSTも付け直しましたがあまり覚えていません。この時のことをあとから振り返った旦那さんが、 NSTの陣痛の数値が上がるたび、それに呼応するかのように、私が激しい息遣いと叫び声をあげ始めるので、数値が上がるたびに恐怖だったと言っていました。

本当に最初の頃には、痛みの数値を楽しむ余裕があった私も、深夜2時3時には時々泣いたりしていたと思います。

 

赤ちゃんに会えるよ

覚えているのは、「もう直ぐ赤ちゃんに会えるよ」と言われた私は、「もう会わなくていい。」ととてもひどいことを言ったということです。決して本心ではなく、耐えかねる痛みから出た甘えでした。「えっ?」と旦那さんが言うのが聞こえ、しまった!なんてことを言葉にしてしまったんだ。赤ちゃんにこれから先なんかあったら私がそんなこと口にしたせいだ。と思い直した私は、「…うそー…」と痛みに耐えながら半泣きで答えました。

 

深夜3:00頃 分娩室に移動する

本来は子宮口が前回になってから分娩室に移動するものですが、なかなか進まない中、私の気分を変えようと助産師さんが早めに分娩室への移動を決めてくれました。

車椅子が用意されていましたが、私は歩いた方が子宮口の開きが進むと思い、「自分で歩いていきます」と車椅子を断りました。「そんな体力が残っているのね」と助産師さんにびっくりされましたが、私も必死でした。

幸いにも、私の病室から分娩室までは廊下を挟んですぐで、痛みの無いあいだに歩を進めましたが、痛みの波がきた時、一度座り込んでしまいました。

 

分娩室で最後の1センチと子宮頚管と戦う

分娩台に横たわったあと、最後の1センチが開くまで、また長い長い時間、陣痛と戦い、叫び続けました。分娩台に上がって全開までにかかった時間は果てしなく感じられました。

しかも全開になったあとも、子宮頚管の入り口が邪魔して赤ちゃんが通れないと言われ、それを助産師さんが一生懸命上にあげようとしてくれていましたが、それもなかなかうまくいきませんでした。

私がもっとうまく体勢を保ち上手に呼吸をしたら、もう少し早くお産が進んだかもしれませんが、体勢を丸くし、おへそを見るように言われても、私は痛さのあまりそれがなかなかできませんでした。

 

朝5:45頃 分娩台が形を変える

陣痛と長い長い戦いがまだまだ続くのかと思っていましたが、この頃やっと分娩台が分娩台としての本来の機能を果たすようになりました。 それまで助産師Yさんのみでしたが、この時になってもう1人の助産師さんが登場。私の足元あたりでバタバタと赤ちゃんが産まれる準備にとりかかります。赤ちゃんのための清潔エリアができて、私の足を何かで包んだりしていました。

まだうまく理解出来てなかった私は、「もう産まれますか?」と聞いたとこを覚えています。助産師さんの返事から、もうすぐ産まれることを理解した私は、やっと終わりが見えたことに、数時間ぶりにやる気が出てきました。

 

慌ただしく破水

そこからは、とにかく慌ただしく物事が進んでいきました。

時系列は曖昧ですが、人工的に破水したこと、瞬間、暖かく生ぬるいものが一瞬で足の間に流れていったこと、2人目の助産師さんの「ジンパ!(おそらく、人工破膜の略?)●時●分!」という声が分娩室に響いたこと、先生が呼ばれたこと、先生が直ぐにこなくて助産師さん2人が顔を見合わせていたこと、先生が静かにやってきて私の足元でスタンバイし始めたこと、途中麻酔をされ、会陰切開されたことなど、今まで遅々として進まなかったお産がどんどんと進んでいったことが思い出されます。

 

いきむように指示が出る

もしかしたら破水と前後するかもしれませんが、ようやくいきむ許可が出ました。1回の痛みの波で2度いきむ形になり、それを繰り返すことたった5〜6回程度だったと思います。途中、赤ちゃんの頭がこれくらい見えてるよ!と助産師Yさんが手で丸の形を作って、私を励ましてくれます。

いきんだ時、自分のお腹あたりを見るように指示されていて、旦那さんも、その時には、私の枕をあげてサポートしてくれました。

途中、赤ちゃんが引っかかり、そこから出そうとするときまた新しい痛みを赤ちゃんの出口付近で感じ、最後まで、「痛い痛い」と繰り返していました。

 

午前6時すぎ赤ちゃん誕生!

そして運命の6時10分!次のいきみで産みたいと意を決して、力いっぱいいきみました。すると、赤ちゃんが引っかかっているあたりに刺すような痛みを感じながら、赤ちゃんがドゥルンっ!と出てくる感じがはっきりと分かりました。

やっとやっと、終わった。そう思いました。その後、赤ちゃんが産声をあげたこと、助産師さんに連れて行かれて、隣の部屋から「3400グラム!」という声が聞こえてきたことなど、ぼんやりとした記憶の中で残っています。

私は全く記憶が無いのですが、旦那さん曰く、この時私が一筋の涙を流したそうで、旦那さんはそれを見て感動したんだとか。

そうとは知らない私自身の目線からは、赤ちゃんの誕生に喜びなんだかそわそわしている旦那さんが目に映っていて、私より母性があるんじゃないだろうかと思っていました。

 

〈まだまだ⑦へ続く!〉

【出産記録⑦】出産の後処置 胎盤を見せてもらう ※写真あり - amyの生活アレコレ

  

  


スピーディーな結果で選ばれる【ベイビーサポート】