amyの生活アレコレ

私amyの生活の中のアレコレについてのブログ

2人目出産記録

こんにちは、amyです!

つい先日、我が家の2人目の男の子を出産しました!

 

思い返せば、長男の時はほぼ2晩かかったお産でしたが、今回は時間的にはあっという間でした。とはいえ、陣痛の恐怖、痛さ、体へのダメージなどはかなりありました。

そのあたり、このブログでも記録に残しておきたいと思います。

 

ちなみに、長男出産時の長きにわたる戦いの記録(笑)はこちらのリンクからどうぞ。

 

 

次男出産のための陣痛ジンクス

前回の長男出産時、焼肉やオロナミンCの焼肉ジンクスを試した私、今回も実践をしました。

 

特に、前回陣痛の数時間前に飲んだオロナミンCには絶大な信頼があり、この日に産みたい!と思うタイミング(予定日3日前と5日前)で2度も飲みました。

ちなみに、予定日1週間前の検診では、産まれる可能性もなきにしもあらずという状態でした。

 

しかし効果がなく、陣痛は来ませんでした。

まぁ今思えば予定日も来ない状態で、焦りもある気持ちの中飲んだので、陣痛が来なくても不思議ではないのかもしれません。

 

予定日当日の検診では、産院の先生はそんな私を見て笑いながら「諦めたら産まれることもあるよ。」と言いました。

 

そうそう、産婦人科の先生たちの中でも焼肉ジンクスというのは有名なようで、「世に言う、焼肉、カレー、オロナミンCね。」と言ってました。

カレーは私知らなかったので試していなかったのですが、焼肉もカレーも白米とよく合い、エネルギーの必要なお産の前にはもってこいのメニューかも。

 

その後、3本目のオロナミンCをトライしようか少し考えましたが、体重が急激に増えたこともあり、やめました。

これ以上、無駄に糖分を摂取しても太るだけと悟ったのです。

夫からも、これ以上飲むのはやめた方がいいよと言ってきました。

 

オミクロンVS陣痛 焦りの中の運動

さて、世間ではオミクロン株が急激な広がりを見せ、いつ夫が立会いを禁止されるのかヒヤヒヤする中、予定日の2週間以上前から、陣痛が早く来ないものか、今か今かと待っておりました。

 

ただ手をこまねいているだけではなく、ちょうど年末年始で夫が冬休みに入るタイミングもあり、夫が子どもと遊んでくれている間に、私は日々ウォーキングに励みました。

 

困ったのは、ウォーキング中どうしてもトイレに行きたくなることです。

妊娠中はトイレが近くなるものですが、今回妊娠後期になってからの頻尿ぶりはすごく、家にいる時30分に1度はトイレに行きたくなり、しかも尿意を感じてから我慢できる時間が短いのが問題でした。

 

外で歩いていると、どうしてもトイレが見つけづらいのは難点。

そこで、ショッピングモール内を歩くということも数回しました。

お買い物もできて気分転換になり、一石二鳥なので、同じく尿意に悩む妊婦さんには、これはおすすめです。

 

それから、前回同様、自宅の中で座って作業などする際には、バランスボールも使用していました。

バランスボールに関する過去の記事はこちら↓

陣痛が来るのが早いか、オミクロンの広がる方が早いか…。

本当に、可能な限り頑張ったように思います。

 

予定日当日 焦りから諦めの境地に至るまで

予定日当日の検診では、もう子宮口も3センチ開いており、あとは陣痛が来るだけという状態でした。

 

すると先生から、「自然に産みたいなら41週終わりの正産期ギリギリまで待ってもいいし、それを待たずに陣痛の誘発剤を使用してもいいけど、どうする?」と聞かれました。

 

てっきり、また数日後に検診に来てねとだけ言われるのかと思っていた私は、そのいきなりの質問に戸惑いました。

 

でも、やはりオミクロンのことを考えると、なるべく早い方がいいとの思いから、なんとなくその場で、40週の最終日に入院し誘発剤を使うと言う取り決めをして、帰路につきました。

 

でも、自宅に帰る道中、ものすごく葛藤していました。

コロナのことがなければ、お腹の赤ちゃんの出てきたいタイミングギリギリまで本当は待ちたいと思っていたのに、私が変に焦っているせいでそれができないのは良くないのではと思ったのです。

また、誘発剤を使うことのメリットやデメリットもきちんと調べたり先生に聞けていないままに入院日を決めたことにも後悔もありました。

 

自宅に戻ってすぐ、長男の面倒を見てくれていた実母と、別室でテレワークをしておりちょうど定時で出てきた夫の2人に現状を説明しました。

 

すると母からは、母が姉を出産する時に誘発剤を使って二日苦しんだ過去の話をされました。

当然、何十年も前の話なので、きちんと今の医療での話を調べる必要も言われましたが、私はそこですっかり誘発剤を使用することが嫌になってしまっていました。

 

そんな私の様子から、母も夫も、やはり焦りを見てとったと思います。

私は、立ち会いができなくなる恐怖も訴えましたが、このまま立ち会いも禁止されない可能性にかけて、自然分娩を待てる限り待つ方がいいのではというような話の流れになっていきました。

 

他にも色々とあり、若干口論のようになってしまったあと母が帰宅すると、私は我慢できず、夫の前で子どものように泣いてしまいました。

 

この時、それまでずっと張り詰めていたものや焦りも何もかも、だんだん涙と一緒に流されていったのが分かりました。

 

そこから先、ありがたいことにその日夫はできる限りの家事と育児を1人でこなしてくれました。

 

その間、すっかり毒気が抜けたようになった私は、立ち会いにこだわることをやめ、できうる限り自然な形での陣痛を待つことを心に決めました。

 

でも、こうして諦めの境地になったことが本当に良かったのかもしれません。

次男誕生となる運命の日は、この翌日にやってくることとなります。

 

予定日+1日 破水!?

その日は、朝起きて長男と朝食を食べ、いつもの食後のバナナシリアルヨーグルトを食べるところまではいつも通りの朝でした。

 

夫は一足先に朝食を終え、自室でテレワークをしていたので、思えば、これが長男との家での2人時間の最後となりました。

 

食後に洗濯を干したりしている途中に、「うんちん」と長男が言ったので、おむつ交換をしました。

おむつ用のゴミ箱は、ベビーゲートを超えた先、トイレに置いてあるのですが、長男がついて来ようとするので、ゲートを開くのではなく、またいで越えました。

 

その時、股の間に水っぽいものがまとまって流れる違和感がありました。

 

ひやっとしたものの、数日前からオリモノがいつもより増えていたことや、何ヶ月も頻尿状態が続いていたので、どちらかであろうと思い、トイレに確認に行きました。

 

あらかじめ大き目を使用していたナプキンに目をやっても、そのどちらかが判然としません。でも、水っぽい何かが出たことは確かでした。

でも、その時点ではあまり気にすることなく、トイレを出、引き続き家事をしていると、何かが変なことに胸のざわつきを感じ始めました。

相変わらず、何か水っぽいものが、少し、また少し出ているような気がするのです。

 

これはもしや破水なのか…?そう思いネットで調べても、やはり分かりません。

 

この時、午前の11時過ぎ。

長男が私の気を引こうとするのを片目に、さらにネットで検索します。

どの記事も、念のため病院に行ったほうがいい。間違いであっても、それはそれでいいじゃないかというものばかりでした。

 

心の中でまだ半分迷いつつも、とりあえず病院を受診しようと思い始めました。

そこで残っていた食器洗いを急いで終え、テレワーク中の夫の部屋をノックしたのが、11時半前のことです。

 

うまく言葉にならず、お腹を抑えながら「あの…。まだちょっと分からないんだけど…。」と口を開くと、興奮した様子で「もしかして、来た!?」と、明らかに陣痛が始まったと勘違いした様子でした。

陣痛ではなく、破水かもと言うすると、ちょっと動揺した様子ですが、病院に電話するために長男の面倒を少し見ててくれとお願いすると、仕事の手を止めて一階に降りてきてくれました。

 

バタバタ病院へ 長男としばしのお別れ

 

11:29病院に電話をして状況を説明すると、「とりあえず受診してください。何時に来られますか?」と言われたので、「準備に30分くらい、行くのに20分くらいなので、12時半くらいにはなるかと。」と答え、電話を切りました。

 

次に、仕事中の母親に電話。

病院に行く時に長男を預ける手筈の通りです。

数コールで出た母は、状況をすぐに理解し、早退して向かうと言ってくれました。

 

そこからは、バタバタと入院準備と長男を実家に預ける準備です。

ほとんど準備済でしたが、流石に毎日使用するものは残っていたので、それらをメモを見ながら詰めていきます。

夫も手伝ってくれましたが、残務を片付けるため慌てて二階に戻っていきました。

その間、長男は遊んでもらおうとうろちょろし始めたので、母が12時頃に着くまで仕方なく子どもチャレンジのDVDを見てもらっていました。

 

その間も、正体不明のものが股から時々出てくるのがわかります。お腹もなんだかずっと張っているような気がしますが、そのあたりに構うことなく、どんどん準備を進めます。

 

荷造りを終え、長男の荷物を母に車に乗せてもらい、夫も残務を終えまた一階に降りてきたのに間髪を入れず、母の車に長男を乗せました。

 

みんなでお出かけできると思って、長男はいつも通り楽しそうに靴を履き、意気揚々と玄関を出ました。でも、車に乗り込む時、自分だけがおばあちゃんの車に乗ることに気づき、全てを悟ったかのように、急に無言になりました。

チャイルドシートに座って、真っ直ぐ前を見て、なんだか目には涙を溜めているかのようでした。

 

それは全く今まで見たことのない長男の姿で、思わず私の方が涙がうるっとしてしまいました。「バイバイ」と言っても、こちらを向こうとも、バイバイもせず、ただただ、真っ直ぐ前を向いて座っていました。

 

車のドアを閉め、夫と私2人で、長男の乗る母の車を見送り、私はもう我慢できずに泣きました。

 

しかし感傷に浸る間もなく、私たちもその後すぐ私の荷物を車にのせ、戸締りをして病院に向けて出発しました。

 

陣痛が始まっていることに気がつく

車で出発して、まずは近所のコンビニに寄って夫に買い物に行ってもらいました。

もうお昼の12時をとっくに過ぎていて、しかも長丁場になることが予想されたので、腹が減ったは戦ができぬとばかり、夫と私の分のおにぎり二つずつと、それぞれの飲み物です。

 

後部座席で、防水シートがわりのレジャーシートを敷いた上に座っていた私は、それを食べながら、ちょっと前からお腹に規則的な痛みがきていることに気がつきました。

 

まさかと思うが、陣痛が始まっている!そう思いました。

 

13:45ごろ病院に到着。

夫に駐車場で待機してもらって、1人病院の受付を済ませ、診察を待っている間も、痛みはやって来ます。でもまだまだ耐えられるレベルです。

 

10分待つか待たないうちに、NSTを取り始めました。1時間くらいとっているうちに、痛みが進行しているのがわかりました。

そして股から出ているものがNSTの後半には量が多くなってしまって、ついに家を出る前に買えた夜用ナプキンを超え、ジーパンを濡らすようになりました。

 

NSTを終え、診察へ進む頃には、もう普通に歩けないほどに痛みがやってきていました。

診察してもらうと子宮口が3.5センチ開いており、入院が決まりました。

 

思ったより開いていないので、そこから長丁場になるだろうと若干の失望を心のうちに抱えながら、診察を終えました。

 

急激に進行したお産

自販機で飲み物を買い、入院施設のある2階への階段を上って行きましたが、かなりの頻度で強い痛みがくるようになっていました。

時々つっぷし、壁に手をかけ、助産師さんに助けられながら進める時に前に進んでいきます。

 

そして通されたのはNDRです。

長男の時は、NDRに来るのに何時間もかかったので、いきなりここに来られたことに、私はちょっと希望を感じました。

 

時間は14:10ごろ。

ここで母にLINEをし、入院が決まったことをやっとのことで入力&送信しました。

そこから、必死になって台に上がり、陣痛と戦うこととなります。

しばらくして、外で待機していた夫が許可を得て分娩室に入ってきました。その頃にはもう激痛が走っており、夫とまともに会話できる状態ではなく、辛くあたってしまったことを思い出します。

 

そしてあれよあれよという間に、子宮口がどんどん開いて、15:30ごろ次男が誕生しました。

 

長男の時と大違いのスピード出産です。

でも、やはり相変わらず陣痛の痛みはものすごく、陣痛中何度も、無痛分娩ができなかったことを悔やみました。(我が家のある地域では無痛分娩に対応した病院がそもそもありません。)

 

かわいい赤ちゃん

実は長男の時はあまりに長く陣痛が続き、生まれた時にはもう気力も体力も使い果たし、赤ちゃんをかわいいと思える余裕はありませんでした。

でも今回は、生まれてきた赤ちゃんを見て、すぐにかわいいと思いました。

と同時に、緊張の糸が解れ、目からボロボロと涙が出てきたんです。

自分でも、すごく精神的に張り詰めていたことがわかりました。

 

そこから処置を受け、分娩室の中で夫と赤ちゃんとしばらく3人の時間を過ごし、そこで夫とは5日間のお別れをしました。

やはりオミクロンの広がりがすごく、この日から病院は面会禁止になっていました。

 

あまりにもスピード出産だったので、なんだか信じられず、その晩はほとんど眠れませんでした。

 

新しい日々の始まり

こうして不眠のまま、次男との5日間の入院生活を始めることとなりました。

入院中、次男との授乳のことで悩んだりとまた色々なことがありましたが、一応ここで、出産記録を終えます。

 

書いていても思いましたが、やはり出産は2人目だろうが、何人目だろうが、命がけでした。

 

この世に生まれてきた命、大切に大切に育てたいと思っています。