amyの生活アレコレ

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コロナ禍での2人目妊活と妊娠 〜徒然にシュレディンガーの猫、そしてワクチン、政治〜

こんにちは、2歳の男の子を育てているamyです!

 

タイトルにもしていますが、実は現在お腹に赤ちゃんがいます。

順調にいけば、あと3〜4ヶ月で生まれてくる予定です。

 

コロナ禍での妊娠ということもあり、妊活前から今までいろいろ悩みながら来ました。

そのあたりの経緯をちょっと書いてみました。

 

今回、愚痴っぽくなっていたり、政治への批判も分量多めでありますので、そういう類のものを不快に感じる方は読まないように、スルーでお願いします。

 

 

妊娠するまで

さて、もともと私はぼんやりと子どもは2人くらい欲しいなと思っていました。

2年前の息子の出産があまりに痛かったため一時は諦めかけたものの、毎日の息子の成長を見ている中でやはりもう1人子どもが欲しいと思う気持ちが強くなっていきました。

 

ただ、息子が生まれて4ヶ月ほど経った頃に、新型コロナが出現したことで、また気持ちが揺れました。

 

未知のウイルスの蔓延する世界で妊娠することのリスクをものすごく考えました。

妊婦として罹患した時に、自分とお腹の赤ちゃんは無事でいられるのか心配でした。

 

結論を出せないまま、時間がだけが過ぎていきました。

当初、SARSのように短期間で収束する望みを少なからず持っていたものの、時間が経つにつれ、この先何年も状況は変わらないのでは考えるようになっていきました。

 

台湾やオーストラリアなど、感染状況が落ち着いている国が羨ましくて仕方なく、そういった国にいたら、迷わず妊活スタートできるのになと思ったりもしました。

 

そうして時間ばかりが過ぎる中でも、どうしても向き合わなくてはいけない問題がありました。一つは、自分の年齢。もう一つは、育休からの復帰です。

 

向き合わなくてはいけなかったこと

一つ目の年齢については、私はすでに医学的には高齢出産と言われる年齢に差し掛かっていました。年齢が進めば進むほど、さまざまなリスクが増えていくことはよく知られていると思います。

おまけに私は子宮筋腫もあるので、不妊のリスクもそうでない人よりも高いと理解しています。(実際に、過去にかかった産婦人科子宮筋腫を指摘された際、子どもが欲しいなら早いうちにとアドバイスされています。)

 

二つ目の育休からの復帰問題については、現在も私は育児休暇中ですが、もちろんタイムリミットが来れば職場に復帰することになります。

もしも復帰をした後に妊活をスタートすることを考えると、仕事と育児のストレスを抱える中で、果たして順調に妊娠できるのかという不安がありました。また、前回の妊娠中にはドクターストップを何度か受け、職場に迷惑をかけるということもあったので、次も同じことが予想されました。

そして、マタニティハラスメントを受けることも容易に予想できました。

前回の妊娠中、特定の人から心ないことを言われましたし、私以外の妊婦さんが職場で悪口を言われるのを聞いたこともあったからです。

 

 

そのような職場で妊娠生活を継続する自信はありませんでした。

なので、妊娠するなら育休中がベストタイミングだと自分の中で思っていたこともあり、タイムリミットが近づくにつれ、『コロナ禍であっても妊娠をする覚悟』を持とうと考えるようになりました。

 

『覚悟』をしても…

とはいえ、あくまでもコロナ禍で妊娠した時のリスクと妊活をしない(2人目を作らない)デメリットを天秤にかけただけの話で、当然ながらコロナに罹患する覚悟をしたわけではありません。

 

もし、コロナ禍で妊娠し、さらコロナにかかったら…

海外では早くから妊婦の重症化例、そして妊婦の死亡例も報告されていました。赤ちゃんが助からないかもしれない、そして自分も助からないかもしれないのです。

 

そんなことは起きてほしくないです。

 

おまけに、こんなこと書いたら周りの目ばかり気にしているのかと思われるかもしれませんが、妊婦としてコロナに罹患した場合、『こんな時期になんで妊娠したんだ。自己責任だ。』と世間から言われる怖さもありました。

 

8月にアフガニスタンのニュースを見ていてもひしひしと感じましたが、日本というのは、人の命を軽く考える傾向にあり、人権意識も希薄です。特に、社会的に女性や子どもや弱者に対する扱いが、とても先進国とは思えない面があります。

 

これも先月ですが、千葉県でコロナにかかった妊婦さんが入院もできず、1人出産し、新生児が亡くなるという、とても居た堪れないことがありました。

多くの方達がそのニュースに衝撃を受け、嘆き悲しんだ一方で、『こんな時期になんで妊娠したんだ。自己責任だ。』というような言葉が実際ネット上でちらほら見られました。

そのような人は少数派かとは思いますが、現在進行形でトップにいる政治家が『自助』を掲げるような社会であり、自助が自己責任の意味合いを帯びてきた中で、弱者を虐げるような間違った自己責任論が以前よりもどんどんと力を持っているのは間違いないと思います。

 

妊娠前も今でも、自分にはそのような心ない中傷に耐えられる自信はありません。

 

そんなわけで、妊活すると決めた私は、コロナにかからないようにそれまで以上に細心の注意を払うこと、自粛を徹底し家族以外の人にもなるべく会わないという決意を新たにしたわけです。

 

一つ懸念があるとすれば、1歳の息子を自粛に巻き込んでしまうことでした。

ただ幸いにもまだ幼く、保健師さんたちに相談した際にも、『月齢的にもお出かけは家の周りを散歩する程度で大丈夫ですよ。』とか、『まだ周りとの関係築くより、自分の中の発見を大事にしていれば大丈夫です。』という言葉をかけてもらったので、少し気持ちは楽になりました。

 

なので、実際に妊娠した後に児童館に出向いたのは、(つわりがひどくて出かけられなかったという事情もありますが、)緊急事態宣言や蔓延防止の出ていない期間に、人の少ない時間帯を見計らって、2度ほど行ったきりです。

 

可哀想と思うこともありますが、なるべく家庭内で退屈しないようには心がけています。

 

それから、あまり人との交流が少ないといろんな病気に対する免疫がつきにくいのではとも心配しますが、来年には保育園もしくは幼稚園に入園する予定ですので、そこからでも遅くはないかなと考えています。

 

とにかく、今は子どもでも少数ですがコロナで重症化する子も出てきていますので、息子自身を守るという意味でも自粛を徹底するしかないと思っています。

 

生きていたシュレディンガーの猫

妊活をすると夫婦で決めてから、すぐに風疹の抗体検査を受けに行ったり、自粛を本格的に始める前に近場で家族での一泊旅行で思い出を作ったりとなかなか慌ただしかったです。

 

そして、いざ妊活を決意すると、子どもが欲しいという思いがどんどんと増していき、友人の妊娠報告を聞くと、うらやましくなることもありました。

 

1人目の妊活時もそうでしたが、生理予定日間近になるとソワソワし、生理が少し遅れているだけで期待をし、そして生理が来るとがっかりし、果たして妊娠できる時が来るのかと不安になり…。

挙句の果てに、つわりに似た気持ち悪さを感じる時すらあり、結局は胃腸の不調だったのですが、そんな時ですら、妊娠を期待してしまうのです。

 

そんな中でも、少し冷静な自分を見つけることもありました。

それは、この状況がまるで『シュレディンガーの猫』だなと思い、客観視して思わず「ふふっ」と笑ってしまう時でした。

 

シュレディンガーの猫、聞いたことがありますか?

物理用語なので、全く理系に縁の無い自分がなぜ知っていたのか自分でも疑問ですが、シュレディンガーという物理学者のある思考実験のことを指します。

 

私なりに説明するとこうです。

とある仕掛けをした箱の中に、一匹の猫を入れます。その仕掛けというのが、半分の確率で猫が死ぬ毒が発生するが、もう半分の確率で毒が発生せず猫も生きたままであるというようなものです。

さらに、箱の中は見えない状態なので、実験者は箱を開けるまで、猫が生きているか死んでいるか分かりません。その状態を『生きている状態と死んでいる状態が重なり合って存在している』と解釈する、というような思考実験です。

 

 

思考実験なので、実際には行われていないのですが、それにしても題材にされた猫は可哀想ですね。

 

私の説明、間違っていたらごめんなさい。

一応、ウィキペディアのリンクも貼っておきますね。

シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

 

さらに興味のある方はこんな本もあります。

 

そんなわけで、猫が生きている状態と死んでいる状態の両方が重なりあって存在するシュレディンガーの思考実験のごとく、妊活時の排卵期を過ぎたあたりから生理予定日までは、赤ちゃんがお腹の中にいる状態といない状態が重なりあって存在していると私は考えていました。

 

この考え方、物理学的に間違っていたらごめんなさい。

一応バリバリの理系出身者である夫に確認したら「なんとなく合ってるんじゃないか」みたいな反応で、以後私たち夫婦の間では、シュレディンガーの猫が生きているか死んでいるかという言葉がまるで隠語かのように、赤ちゃんができたかどうかの会話の中で飛び交うようになりました。

 

こういう風にちょっと違う言葉を使うことによって、私はその状況を楽しむこともできましたし、あまり思いつめることのないようにもしていました。

 

それが幸いしたのかどうか分かりませんが、今年の5月、妊娠検査薬で陽性が出て、妊娠したことが分かりました。

それまでの月は箱を開けた瞬間、猫が死んでいたわけですが、この月はやっと生きていたシュレディンガーの猫に出会えたわけです。

 

とはいえ、この赤ちゃんを授かってからしばらくして、お腹にいるのは男の子はのか女の子なのか、「男の子である赤ちゃんと女の子である赤ちゃんが重なり合って存在している」という、ちょっとわけの分からない進化系のシュレディンガーの猫をまたお腹の中に飼うことになります。

 

ワクチン紆余曲折

話は前後しますが、今年の初め頃から新型コロナウイルスのワクチンの話題が出てきていたと思います。

 

日本はなかなかワクチン接種が進まず、やっと7月中に65歳以上の人が打ち終わるかどうかといった状況でした。

 

私が妊活を決意したのも今年の1月ごろでしたが、3月になっても医療従事者でさえワクチンの順番が回ってこず、医療従事者の次に高齢者という順番が決まっていた中で、自分の順番が回ってくるには、途方もない時間がかかるだろうことは予想できました。

 

もちろん、一に医療従事者、二に高齢者という順番は正しいと思います。

(結局、墨田区のような例外を除いては、医療従事者も完了してない中で高齢者の接種が始まってしまうのですが…。墨田区のワクチンに対する取り組みについての、なかなかに秀逸な記事はこちら→東京・墨田区のワクチン接種はなぜ速いのか(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

個人的は、できればワクチンを接種した後に妊娠した方が安心だと思いはしたものの、とても順番を待てるような状況ではありませんでした。

 

妊娠中のワクチン接種ということをこの時初めて想像しましてみたものの、やはりできたばかりで数年後の影響が解明されていないワクチンである以上、お腹の赤ちゃんへの影響が心配で、自分は妊婦になった場合は接種しないと心に決めました。

 

一方で、当時すでにアメリカなどでは、多くの妊婦さんが接種していたと思います。

しかしながら、アメリカの感染状況は日本と比較してより深刻で、メリットがデメリットを上回ったのだから、そのような決断は当然と思えました。

 

それと同時に、同居家族である夫にはぜひ接種して欲しいと強く思うようになりました。

なぜなら、妊婦の感染経路のほとんどが同居家族からであることがその時分かっていたからです。

Twitter界隈では産婦人科系のお医者さんを筆頭に、妊婦及び同居家族の優先接種の必要性を唱える人も何人もいました。

 

でも、その声はやはり妊婦が周りにいてこそ思うことであり、とてもじゃないですが政治の世界にまで届く様子はありませんでした。

 

そこで私は自分にできる範囲で行動にうつします。

自分の住んでいる自治体に、妊婦の同居家族の優先接種を希望すると要望書を送ったのです。

 

正確にはメールでしたが、なぜ必要なのかも細かく書きました。

妊婦は重症化リスクが高いこと、国内でも実際に重症化例があること、妊婦の感染経路は主に同居家族からであること、妊婦が感染した場合医療資源をより費やすことになること、妊婦本人への接種はまだ分かっていないことが多く自分を含め躊躇する人が多いこと…など、自分なりに書き、夫と連名で要望メールを送りました。

 

ちなみに、この要望書を送った6月時点で、夫自身もワクチンに対する恐怖心を少なからず持っていたようですが、接種することで妻である私やお腹の子ども、そして息子を守れるなら、接種を選ぶという考えでした。

 

メールを送って数週間、もはや私たちの要望書は返事すらされないのかと思っていた矢先、丁寧な口調で、しかし「できない理由」を書いたメールが市のワクチン接種科から届きました。

 

そこに書かれていたことを箇条書きするとこうです。

・妊婦の証明をどうするのか課題がある。

・妊婦の同居家族が優先接種可能なら、他に小さい子を持つ家庭などが対象にならないのか意見が上がる可能性がある。

・よって、今回検討はしたので、意見をもらったことを県にあげておきます。

 

簡単には納得し難い文章でした。

まず、証明書の件ですが、これは如何様にもやりようがあると思います。なぜなら市の方で母子手帳を発行しているわけですから、妊婦の把握もできる訳ですし、住民票をもとに同居家族の特定もできるはずですから。

また、小さい子のいる家庭云々については、私たちが要望書で妊婦が感染した場合の重症化リスク及び医療資源をどれほど費やすか切々と書いてあるのに、なぜあえてその話を出すのか疑問でした。

もちろん、小さい子を感染から守る必要性がないわけではありませんが、この返事がきた6月時点では、デルタ株は蔓延しておらず、まだコロナは子どもは重症化しないというのが大筋の意見だったのです。

科学的に検証して、リスクの高い妊婦及び胎児を守るという考えを全面に出して市民に説明をすればいいだけの話で、なぜ理解を得られなさそうだからという理由で、やらなくてはいけないことをやらないのか…。

 

結局は、「前例のないことはやらない」ことなかれ主義を感じました。

 

もちろん、ワクチン事業に関しては、国、都道府県、市町村など、複雑に権限や業務が絡み合い、自治体独自では難しいことも多々あることは理解できます。

ですが、上で紹介した記事の墨田区のように、調整能力を発揮すれば可能なこともあったのではないでしょうか。

 

などと、数ヶ月経っても憤っている私ですが、だからといって、これ以上は市に意見を伝えることはやめました。

 

他の市民からも多くの要望が寄せられている最中であろうことは想像できましたし、そういう要望やクレームに対応することで、かえってワクチン業務が順調に進まなくなるということは想像できたからです。

 

かくなる上は、自分たちの順番が回ってくるまで大人しく待つしかないという状態でした。

 

しかし、そのうち降って沸いたかのように、夫の会社も職域接種をすることとなりました。

 

この職域接種も、結果的にスーパーや交通機関などその場に行かないと仕事ができず且つ人との接触が多い職種の人たちが打てていない中、テレワーク可能な業種の人たちが先に接種するという歪な状況が生まれてしまったことが指摘されています。

 

夫の会社も、テレワークをやろうと思えばできる会社でした。

(実際は業務効率が滞ると言って上層部がテレワークを推進していません。)

 

その社会の歪さにこれでいいのか、他により必要な人たちがいるであろうと葛藤しささつつも、夫は私たちを守るという目的のもと、ありがたく7月中に1回目の接種を、8月初旬には2回目の接種を完了しました。

 

それで少し安心はしたものの、正直言ってそれで完全な安堵はしませんでした。

というのも、ワクチンを打っても感染をし、また無症状のまま感染されることもすでに知られていたからです。

 

そしてその最中、オリンピックが開催され、あれよあれよという間に感染者数が増えていきました。

 

これは本当に恐怖でした。

そして段々と、妊婦である自分もワクチンを打つことを考えざるを得ないようになりました。

 

というのも、この感染状況は、半年、一年前のアメリカの状況と同じだと感じるようになっていました。

数ヶ月前は、どこか他人事に考えていたのかもしれません。でも今や自分も打つ方のメリットが上回るのではと考える状況に置かれていました。

 

もちろん、胎児への数年単位の影響は分かっていないという問題はまだ解決されていません。でも、それは宇宙人の存在有無を問うのと同じような、答えのない問いでした。

もはや、どんなに気をつけていても感染してしまうかもしれない状況に置かれていては、ワクチンを打ち、重症化を避けることこそが、自分と胎児を守る最善の方法だと考えるに至りました。

 

幸いにも、私の住んでいる自治体では30代以下の接種の予約が8月中旬には取れるようになっていました。そこで、自分の判断で、赤ちゃんの胎動が分かっているであろう週数を目安に、9月に自分の枠を取りました。

 

そして、つい先日、ワクチンの1回目の接種を終えました。

気になる副反応は、当日の夜に軽い動悸がありましたが、これは精神的なものかもしれません。翌日産婦人科を受診し、母子ともに問題ないことを確認しました。それから、その夜に微熱が出ましたが、これも朝には下がっていました。

これから2回目の接種が控えており、まだ不安は尽きないですが、お腹の子に悪い影響がないといいなと祈るばかりです。

 

そういえば妊娠中に接種すると、赤ちゃんが抗体を持って産まれてくることがあるそうです。

その抗体がどれくらいの期間維持されるのかまだ分かりませんが、そういった良い影響であれば大歓迎です。

 

夫の職場にも妊婦さんがいて、やはり7月時点ではワクチンを希望していなかったですが、今月に入り接種したそうです。

 

多くの妊婦にとって、接種するしないは大きな悩みだったと思います。

できれば、そんなことを悩まなくてもいいほど感染状況が収束してほしかったです。

 

 

ちなみに、妊婦や妊婦の同居家族の優先接種についてですが、8月に千葉の妊婦さんがコロナにかかり、どこも見てもらえる病院がない中不幸にも赤ちゃんが亡くなるということがあってから、さまざまな自治体で妊婦及び同居家族の優先接種が始まりました。

私の住む地方自治体でも、9月になってやっと、優先接種ができることが決まりました。

 

そのこと自体は評価したいと思いますが、「何か起こらないと行動に起こさない」という行政のあり方には、どうにかならないかと、私にとって強く感じる出来事でした。

 

 

濃厚接触者にならない?

コロナ禍となって早一年半です。今年のお盆前後の感染者の広がりは、まさに感染爆発と言っていい状態だったと思います。

身近な人がコロナにかかった人も多かったのではないでしょうか。

 

私たちも同じく、今までで一番身近にコロナの気配を感じました。

 

まずは7月の夏休みに入る直前、姪っ子の幼稚園のクラスで陽性者が出たということで、保健所の調査で姪っ子も接触者となり、検査対象となりました。

検査の前日、姪っ子は検査が怖いと言って、ずっと泣いていたそうです。

小さいなりに状況を理解しようと頑張っていたと思います。

 

幸いにも、この時姪っ子のクラスで接触者として検査をした子達は全員陰性でした。

抗原検査だったので、どこまで信用できるか分からないものでしたが、翌日から夏休みだったこともあり、それ以上は感染は広がりませんでした。

もしかしたらまだデルタ株の蔓延直前だったので、感染力の比較的低い従来株で、感染せずにすんだのかもしれません。

 

私自身は姪っ子と直接接触はなかったものの、母が姪っ子とも私たち家族とも会っていたので、検査結果がわかるまではずっと気持ちが落ち着くことはなかったです。

 

しかし、この7月の状況はまだマシだったと思う出来事が、お盆明けにありました。

 

今度は、夫の職場でコロナの陽性者が出たのです。

その方自身の感染経路は不明ですが、地下鉄で通勤していたこともあり、そこでうつされてしまったのではとの話でした。

 

そして夫は、その人と仕事で10分ほど一緒に作業をしていました。

すわ、ついに夫も濃厚接触者もしくは接触者に認定か。と思ったものの、接触者にも濃厚接触者にも指定されませんでした。

 

夫以外にも、その人と30分以上打ち合わせをしていた人でさえも、濃厚接触者になりませんでした。

 

このお盆の頃には保健所がパンクし機能しなくなっていたからなのか、マスクをしていれば濃厚接触者に当たらないというルールが生きているからなのか分かりません。

すでにデルタ株の感染力が知られているのに関わらず、いつまでもこうした状況を放置しているから、感染が広がり続けるのだと実感しました。

 

感染が比較的少ない自治体は、保健所に臨時職員を投入してでも、濃厚接触者の追及をきちんとやっているところです。

その自治体を見習った動きがなぜ全国的に広がらないのか、私にとっては不可解です。

 

それはさておき、この時、家庭内でちょっとした揉め事に発展したことを書いておきたいと思います。

 

その職場の方の陽性結果が確認される以前の発熱が判明した時点から、夫は家庭内でゆるく隔離生活をしていました。

なるべくリビングには来ない、食事も自室でとってもらう、お風呂は一番最後にするなどです。

 

正直、妊娠中の、つわりもまだ少し残っていた状態で、子育てに夫の手助けが得られない上に、食事を部屋まで運んだりする作業や、感染対策しながら家事をすることはとても負担がかかり、ストレスでした。

 

当初私は、夫が濃厚接触者もしくは接触者となり、行政検査を受けるであろうと考えていたので、(その検査結果が100%信用できるものではなくても)陰性結果が出るまでなんとか頑張ろうと思っていました。

 

ところが、保健所からはそのどちらにも指定されず、会社側も翌営業日から通常通り通勤しろというのです。

 

ワクチンを打っているとはいえ、無症状感染の可能性もあるというのに、何も調べもせず、通常通りの生活に戻すだなんて、私には考えられませんでした。

 

胎児と息子を守るためにも、絶対に自分はコロナにかかってはいけない。その一心でした。

 

ただでさえ、自分たちの住んでいる自治体の病床使用率はその時90%をすでに超えていました。しかも、元々産科医療が脆弱な土地柄です。

自分がコロナになっても、医療にかかれる保証はありませんでした。

 

そこで夫に、自費検査をしてくれとお願いしました。

当然、了承してくれるものだと思っていました。

 

ところが、夫から返ってきた答えは「それはできない。」の一言でした。

家庭内隔離中だったので、この会話は電話越しでした。だから一層距離を感じたのかもしれませんが、私は夫との認識の違いに頭を抱えました。

 

夫の言い分を聞くと、どうやら検査を受けるには会社に事前報告がいるらしく、報告をすると自分の周りの接触者を社内で聞き取り調査をされることになっており、場合によってはその接触者は自宅待機になるそうです。そのことで周囲に迷惑をかけるのではと夫は考えているようでした。

 

夫は、村八分が本当にありそうなくらいの田舎で育ったことから、時々そうやって周囲に対し異常に気を使うところがあります。なので、悪気があったわけではなく、突発的に他人に迷惑をかけてはいけないと考えたのだろうと思います。

 

しかし私は、自分やお腹の子どもの命と、社会的な体面を天秤にかけられたような気がしました。

 

そもそも、もし周囲に自宅待機などしてもらうことになったとしても、夫がコロナにかかっていた場合は結果的にさらなる感染を食い止めるためには必要なことですので、迷惑と感じる必要はないのではと思いますが…。

 

その後、夫婦喧嘩に発展していきました。

普段、なるべく喧嘩しないように生活しているので、私たちにとってはとても珍しいことでした。

 

しかし、喧嘩と話し合いの末、会社に報告義務があるのは行政検査の時だけで、自主検査の場合はしなくていいというのが後からわかり、(人騒がせ…。)夫も検査を受けることを同意し、なんとか翌日に自費検査することができました。

 

さらにその翌日、陽性ではないという結果(はっきりと陰性とは言われない)が出ました。もうその結果を信じるしかないと思っていたので、これで夫の自宅内隔離生活は解除しました。

 

職場の方の発熱判明からおよそ5日間、妊婦で尚且つ1歳の子どもを抱える私にとっては、とても体力を消耗する日々でした。

 

これがもし、陽性だったら…。さらに自宅隔離が長引き、感染に怯える日々が続き、とてもじゃないですが普通の精神状態ではいられなかったでしょう。

でも実際には、そういう家庭が日本全国にたくさんあるはずです。

 

コロナ禍の始まりから1年半、積み上げられた課題が日本にはたくさんあって、それでいて解決される希望もないよう感じました。

 

最後に〜まだまだ油断できない日々〜

9月に入り、徐々に感染状況が減少傾向になったとはいえ、出産するまでまだまだ油断できない日々が続きます。

 

どれだけ気をつけていても、満員電車に乗って会社に行かなくてはいけない妊婦さんも中にはいます。

感染してしまった場合、予定していた産婦人科で産めない可能性は高く、その後どうなるかは地域の医療体制によります。

感染状況と脆弱な医療体制が改善されない以上、また不幸なことが起きてしまう可能性は十分にあります。

 

妊婦だけの話ではありません。

例えば、がん患者さんも医療が逼迫するごとに治療の範囲を狭められることもあります。また、まだまだワクチンを打てない子どもたちの中にも基礎疾患を持つ子達もいます。

感染が拡大すれば、こういった弱い人たちの命に関わります。

これらはほんの一部の例だと思います。

 

どうか、感染を抑え込んで、弱い人たちを守れる社会になってほしいと思います。

そのためにも、次回の選挙は多くの人たちが投票に行って、国民は政治をちゃんと見ているという意思表示をしてほしいと思っています。

 

私は、現政府のコロナ対策を不十分だと思います。

例えば、水際対策は甘すぎます。

国内でいくら自粛をしても、海外から流入してしまえば、意味がなくなってしまいます。自粛をすれば効果があるのだと思えないからこそ、最近多くの人が去年に比べて出歩いてしまっているのではないでしょうか。

 

私は、個人では自粛を頑張っていますが、出歩いてしまう人の気持ちもわからないでもないです。

私はたまたま家にいれば、家族がいて孤独を感じることはないです。でも、一人暮らしの人や独身の人をはじめ、誰かに会うことでしか精神的な平常を保つことができない人も多分いるんじゃないでしょうか。

 

多くの人の生活に影響があるからこそ、国や自治体はもっとできることをやってほしいです。

 

コロナ対策だけではありません。

多くの問題が、専門家軽視、人命や人権軽視になっていやしないでしょうか。全ての問題は長期政権の産んだ怠慢や傲慢さと根が同じだとつくづく感じます。

 

この私の記事を読んで、政府のせいにするなんて、責任転嫁だと思う人もいるかもしれません。でも、これが私の今の気持ちです。

 

妊娠の話題を書くつもりが、多くが政治の話になってしまいました。

まだまだ書きたいこと、思うことはいっぱいありますが、どんどん話題が逸れていくので、この辺りで終わりたいと思います。

 

 

最後に、私の今回の話の政治の部分に共感したり興味を持った方に、おすすめの本がありますので、紹介しておきます。

現政権の批判を、風刺漫画で痛快に描いたぼうごなつこさんの作品です。きちんと報道記事などを精査して書かれており、勉強になることも多々あります。

Amazonのレビューなどでも高評価となっているので、興味ある方はぜひ読んで見て欲しいと思います。